平安京の町屋 |
都や街道筋の街に建った建物の姿が具体的に明らかになるのは、平安時代の後半で、「年中行事絵巻」に描かれた町屋によってからです。 この絵巻に描かれた町屋をみると、間口は2間(柱間二つ)から4間ぐらいでそれほど大きなものはみられませんが、この絵巻は行事の光景を描いたもので正確な寸法を表現するものではありません。しかし、人間の大きさから判断すると、大きいものでも8メートルぐらいの間口しかなかったようです。 平面をみてみると、間口の右側半分に入り口を設け、左側半分を窓としています。 入り口の奥に暖簾がかかっており、土間がさらに奥まで続いていることが予想できます。つまり、奥まで通じる土間は通り庭として機能し、これに沿って部屋が並んでいるようでした。 この間取りは、その後現代の京都圏にみられる、通り庭を持つ町屋の平面に影響を及ぼしたと考えられます。 |
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